うちの中でコンピューターの前に座ってばかりだと悲しいので、
できるだけ庭で仕事でも食事でもするようにしています。
お日様が出れば、私もお庭へ、という感じで。
猫の額ほどの小さな裏庭だけど、
緑がいっぱいでなかなかいい感じ。
今年はチューリップがきれいに咲いてくれました。
そして、そのチューリップを見るたびに、
私の心はうるおってしまいます。
それは、私にとって小さな奇跡の象徴だから。
人へのギフトを選ぶのが苦手、という意識が10代の頃からずっとありました。
たとえば、香港での3年のお勤めを果たし、帰国したときに、大学のスキー部の仲間が集まってくれたとき。
大学を出てそのまま香港に向かうときも、集まって祝ってくれた仲間たち。
その一人一人に感謝の気持ちを込めて何か素敵なお土産を、と考えて香港で買っておいたギフトがありました。
・・・でも、それを渡せなかった、というちょっと物悲しい経験があります。
それはBIRDのトートバッグで一人一人に色違いのを選んであったのですが、
「こんなバッグ、使いたくないかも。もらっても嬉しくないかも。」
という思いが頭に広がってしまい、せっかく用意しておいたのに、渡せなかったのでした。
「え~、こんなお土産選ぶなんて。」と思われたくないという、
ただそれだけのことで、渡せなかったのです。
(今考えると「神経質すぎるんじゃない?」と思ってしまいますが。)
そのいくつものトートバッグは、結局私が一人で使うことになり、結構重宝したのですが、
使うたび、ちょっとその物悲しい気持ち(自信のない自分に対して。
人が何を思うかとても気にしていた、というのがここからも分かりますよね)になっていました。
こんなことは、今まで人に言ったことがないから、ちょっと気恥ずかしいのですが、
なぜ「奇跡」なのかは、これを外しては、分かりにくいので。
時計を早送りして…、30年後、そのスキー部の仲間たちと再会することになりました。
きっかけは、こちらでしているWellbeingのワークショップを日本でもできないかしら、
というインスピレーションが来たことです。
里帰りしたときに、お疲れの教師向けにワークショップができたらいいなあ、と。
祈っているときに、スキー部の友達(当時の副部長)の顔が浮かびました。
ずっと連絡を取っていなかったけれど、相談のEメールを送ったら、
ワークショップがどんなものかテイスターセッションをしてくれ、ということになりました。
そして、どうせなら、スキー部のみんなに聞いてもらおうと、彼女がオーガナイズし声をかけてみんなを集めてくれたのでした。
その流れはとてもスムーズですごくありがたかったのだけれど、
さて、そこで、また何をお土産に?という問題が。
…でも、今回は、これが神のお導きなら、きっと神さまが示してくださる、という気持ちもありました。
そして、いつもはほとんど行かないDIYのお店にふと入ったとき、目に入ったのが、チューリップの球根。
「あ、これだ!」とインスピレーションを感じて、スキー部の人数分+家族の分も買ったのでした。
「神さま、ありがとう!」と感謝しながら。
去年の秋、2019年の11月、スキー部のみんなは忙しい中でも時間を作って集まってくれました。
交通の便のいい名古屋の真ん中に場所も取ってくれ、
お疲れのところ私のワークショップも真剣に聞いてくれ、
続いて美味しい創作料理のお店で楽しいおしゃべり。なんだか、天国のような時間でした。
スキー部の仲間は、校長になっていたりや教育委員会の要職についていたり絵本作家になっていたり、
なんだかりっぱでまぶしかったけど、でも学生の頃に戻っていっぱい笑ってしまいました。
その後、チューリップの球根って、こういうお忙しい人たちには向いていなかったかもね…
と、少ししゅんとしてしまったのは、あげた人のお部屋のはしっこに球根がずっところがっているのを見てしまい、
植える時間とエネルギー、または場所がない人には「余計なもの」だったかも、と思ったからでした。
ところが、この春、コロナウイルスで世界がパニックして、
緊急事態になっているときに、次々送られてきたのは、
こんな写真と「咲いたよ~」のメッセージ。
これは、私にとって、まさしく奇跡です。私からのギフトを喜んでくれている!!!
うちの庭のチューリップは、この奇跡を私に思い出させてくれるリマインダーで、
だから、見るたびに、心がほろほろしてしまいます。
私にはよいものを選ぶセンスはなくても、神さまはすべてを見通され予知されていて、
時期に見合ったインスピレーションをおくってくださいます。
この異常事態の中で、光と輝きと喜びをくださっていることに、感謝して。
<おまけの奇跡>
そのスキー部の仲間たちは本当にユニークでおもしろいのです。
たとえば、その中の一人が…(ちょっと想像してみてください。)「チューリッ」と言って、そのあとおしりを向けるのです。
その瞬間、「プッ」という音がする。
口とおしりと合わせると、まさしく 🌷。
こんな場面を今でも思い出して、笑ってしまいます。
遠く離れていても、こんなに時間が経っていても、私を笑わせてくれる友達が与えられているということ、
それは小さな奇跡、
って言ってもいいかしら?
輝くWellbeingを!
さゆり