セラピーが必要なのは、体や心に病を持っている人だけではなく、私たち日々生きているすべての人、という気がします。
たとえば、ちょっと曇ってきた心をきれいにするとか、少し疲れたなぁ、と感じたときに、リフレッシュして、体や心に平安を流すなど。そのような意味で、癒し、であるセラピーという言葉が、ピッタリだと思うのです。治療(トリートメント)ではなく。 セラピーは誰にでも必要な時があると思うのです。
私は毎朝、セラピーをしてもらっています。三浦綾子さんの本を少しずつ読んで、そこから、私の心の汚れに気づいたり、心の傷を優しくいたわってもらったり、疲れた心にエネルギーをもらったりしているのです。
三浦綾子さんの作品は10代の頃から大好きで、中学のときに授業中にもこっそり読んでいたことを覚えています。私の人生を変えてくれた最も尊敬、感謝している作家は三浦綾子さん、と明言できます。
最近、10年~30年以上前に読んだ綾子さんのエッセーを少しずつ読み返し、その新鮮さに驚き、またそのメッセージに再び感動しています。
この朝の特別な時間を、私は勝手に「綾子さんセラピー」と名付けています。
綾子さんのすごいのは、罪とは何か (たとえば「自己主張の罪」。) などというような重いテーマでも、私なら説明に困ってしまうようなことですが、小説をとおして、エッセーをとおして、誰にでもわかるように具体例を挙げて書いておられる、ということ。そして、「本当にそうだ!」と納得できるように、自然な流れで語ってくださっているということ。
綾子さんご本人にお目にかかったことはないけれど、でも私はいつか天国に行ったら、綾子さんにお会いして、自分の頭をその前でずっと下げていたい、と思っています。そして綾子さんが、もういい、とおっしゃったときに、頭を上げ、綾子さんの本が私の人生にどれだけの力になったか、どれだけだけ私に喜びをくれ、どれだけ励まし、どれだけ私の心をセラピーしてくださったか、拙い言葉であるけれど、伝えたいと願っているのです。
日本または世界のどこかで私のように「綾子さんセラピー」を受けている人が、きっと過去半世紀以上のどの時期にもいると思います。その人たちと会ったことはないけれど、心がつながっている、という気がします。心をつなげてくださる綾子さんは天使のように思えます。
神さま、綾子さんという存在を創ってくださり、心から感謝します。
輝くWellbeingを!
さゆり