奇跡のWellbeing 8 – 何を恐れますか

第2弾では、死ぬのも生きるのも怖かったと書きましたが、私にはもう一つ怖いものがありました。

 

それは、「人が自分をどう思うか。」ということです。

「そんなことをしたら、人様がどう思うか、考えてみなさい。」という言葉はよく耳にする言葉でした。

「親戚の人、近所の人にどう申し訳するんだ?」とか。

そして、言われなくても、友達や同僚が自分のことをどう思うか、を考えると、いつもひやひやしました。

それは、たぶん私が相当変わっていて(そのころはそう思ってなかったけれど、今振り返って、そうだったとわかります)、

自分がしたいことが「ふつう」じゃなかったからかもしれません。

 

日本の社会的プレッシャーが内心嫌でたまらなくて、大学卒業と同時に海外に出たというのは、

なんとか自分らしく生きていくためにはそれしか方法がなかった、ということだったのかも。

たとえ、尊敬していたスキー部顧問の教授に

「成瀬は手のひらに握っているダイヤを捨てて、遠くの小石を拾いに行くんだ」と言われても。

 

たしかに、名古屋市の教員採用試験合格(ダイヤ)を捨てて

3年契約の現地採用枠(小石)で香港の日本人学校に行くなんて、

常識的に見れば、もったいないことですよね。

でも、いつも人の目を気にしながら生きていく、

ということにとても苦痛を感じていた自分を救うには、

日本以外の場所に住むしかない、と心の奥底で感じていたのかもしれません。

 

今そのころを振り返れば、二重の恐れを感じていたのかもしれない、と分析できます。

 

一つは、「空気を読む」のが大切な社会で、

「人が自分をどう見るか」にフォーカスすると、怖くなる、ということ。

だって、「人」ってたくさんいて、みんなそれぞれ価値観が違うから、

そんなこと気にしていたら神経が休まりません。

もう一つは、その怖さのせいで、自分が本当にしたいこともわからなくなってしまう、という恐れ。

ダブルの怖さが私の心の深いところにあったはずです。

当時は明確にわかっていなくても、

日本の外で生活しているうちにだんだん言葉にできるようになったことです。

 

 

今回、三つ質問を投げかけることを許してください。

 

Q1 あなたには、怖いことはありますか?もしあれば、それは一体何ですか?

 

 

つい最近、こちらで通っている教会のポール・フェニック牧師(牧師というよりは、

スピリチュアルダッド、と呼ぶほうが似つかわしいのですが)から、

メッセージが届きました。

 

人を恐れるな。死を恐れるな。この二つの恐れを手放したら、人生を最高に豊かに生きることができる

 

 

第7弾でナイチンゲールのことを書きましたが、ナイチンゲールが看護教育を打ち立て、

患者にとって理想の病院建築を提案し、

打ち出した健康理念がヘルスケアの礎となるくらい素晴らしい功績を残せたのは、

この二つの恐れをナイチンゲールが若いときから手放していたからかもしれません。

 

評判を気にせずに

 

この神からの声に「はい」と応えた時点で、ナイチンゲールは人を恐れることから解放されたといえます。

そして、戦場であるクリミアに行くと決意した時点で、自分の命が亡くなる可能性を受け入れ、

死への恐れも手放した、と考えられます。

 

私のヒーロー(英語だと、女性に向かって‘ヒーロー’は変ですが。でも日本語で、私のヒロインって言うのもちょっと変じゃないかしら?

だれか、どうしたらいいか教えてください)に、今更脱帽です。

 

 

私と言えば、神さまに出会ってから死への恐れはなくなったけれど、

人への恐れは、なかなかきっぱりさよならするのは難しい状態でした。

でも、ロックダウンになって教会に行けなくなってもこういうメッセージを毎日送ってくれる

スピリチュアルダッドがいるということは本当にありがたいこと。

週2回会えなくても、代わりに励ましを毎日受けていることは、奇跡に近いと思います。

そして、このニュースレターを通して自分の弱さを人に見せることができるようになったということ自体、

それこそ私の中の小さな奇跡といえるかもしれません。

 

 

恐れるな」という言葉が幾度も聖書の中で繰り返されていますが、

一つだけ、「恐れなさい」というアドバイスが書かれてあります。

それは、何だと思いますか?

 

 

 

答えを見る前に、ちょっと考えてみてください。

 

Q2 あなたの人生でひとつだけ恐れてもいいなら、何を恐れて生きていきたいですか?

 

 

 

 

聖書の詩編にはこうあります。

 

主を恐れよ、主を恐れる者には乏しいことがないからである。」詩編34:10

 

主とは、創造主なる神のことです。

でも、神を恐れる、というのは、怒らせないように、という「恐れ」ではなく、

ほかの訳では「畏れ敬いなさい」とあるように、

「敬意を表す」という意味も入った「畏怖する」という方が近いかもしれません。

(そういう意味からいえば、「畏れる」の漢字の方が正しいかもしれません。)

 

 

Q3 Q2 のあなたの答えと聖書のメッセージを比べて、どう思われましたか?

 

 

 

三つの質問は、あなたが自分自身のことをよりわかるためのちょっとしたFood for thought (思考の糧)になるといいな、と思ってしました。

 

 

<おまけの奇跡>

今日の散歩で、素敵な光を見せていただいたので、おすそ分け。

輝くWellbeingを!

 

さゆり